日弁連の、精神的自由を考えるシンポジウムに行ってきました
ココログに情報提供があったので、日弁連主催の精神的自由を考えるシンポジウムに行ってきました。こういったシンポジウムに参加するのは初めてなのですが、大変参考になりました。「なんだ、こんなもんか」と言う、逆の意味で(^^;。
おおよその内容を説明しますと、
- NHK対朝日の問題は、NHKが悪い。朝日頑張れ
- 北朝鮮をちょっとでも擁護するような発言は、マスメディアでは不可能。自主規制というか、言論に抑圧的な雰囲気を感じる
- ビラ撒きで、逮捕されるのは異常。生活に密着した活動は、言論の最後の砦
- 憲法改正で、日本は「戦争の出来る、普通の国」になりつつある。もう遅いかも知れないが、今からでも出来ることを
- イラク人質事件で「自己責任論」一色になるメディアは、おかしい
と言う感じでした。ちなみに、配布資料のタイトルを書いておきますと、
- 「最近の君が代・日の丸問題」年表
- 「昨今の表現の自由に関するニュース」年表
- 日本国憲法全文
- 憲法改正に関する各党の「論点整理」
- 新聞記事のコピー色々
- 都立高「国歌」不起立に関する処分記事(朝日新聞:2004年6月19日)
- NHK側に2議員意見 幹部「圧力と感じた」(朝日新聞:2005年1月12日)
- 改変問題のNHK特番「問われる戦時性暴力」再現(東京新聞:2005年1月15日)
- etc
となります。なんだか、表現の自由は権力と戦うためにあるのではなく、権力争いのためにあるかのような勢いです。
さて、「精神的自由」と言うのは、自由が侵害される当人にとっては精神的問題ですが、侵害する側にとっては「経済的問題」だと思います。なぜなら、権力側は、「これを書かれると売り上げが落ちる」「こんなこと言われたら、権力基盤が揺らぐ」と言った動機で、侵害するものだからです。
だから、表現の自由を考える時は、「何のための自由か」を明確にする必要があります。あくまでも「人権問題」と言うのであれば、他の人権(例えば、生存権)とのバランスを考える必要があります。公平な振りで特定の「社会権力」の代弁を行うのは、単なる詭弁です。詭弁や不謹慎発言を行う自由はあるとしても、それで世論の支持が得られるでしょうか?何か別のものが、透けて見えます。
私は、このシンポジウムと言うより、世の中の「論客」と言うものは、IT時代に対応していないオールド・プレイヤーばかりなのでは無いかと思います。これは、上記のような「論点のぼやけた」発言ばかりする人達だけではありません。ネットやIT技術に脅威を感じて規制しようとしている人達も同様だし、ネットを活用しているが、権力の手先となって知らないうちに自分の首を絞めている人たちも同様です。
料理を食べた時に、「美味い」「まずい」と言いたいだけなのに、世の中結構大変なようです。
(写真)今の憲法論議は、大日本帝国憲法の精神にも追いついていないと語る樋口陽一教授
この人の講演は、面白かった。