まだまだ話は続きます。前回のトピックス以降、「クレームを取り下げるという発言は訂正します」と言われたきり反論はありませんが、「ジャーナリストは言葉で戦うしかない」のですから、必ずや論理的な反論が出てくると思われます。

さて、著作権についてです。私は、根本的には「全ての著作権は必要ない」と考えています(人格権含む)。ただ、それは「戦争は必要ない」と言うような、原理的な「理想環境」の話ですし、現に「著作権法」と言うものが存在しますので、「著作権は尊重しなければならない」と考えてます。

ここで「尊重」とは、どういう意味でしょうか?それは、「言う言わない、また何を言うかに関わらず、相手の権利について考える」と言う姿勢のことでは無いでしょうか?たとえば、友達の家に遊びに行ったときに、「自分の家だと思って、好きにしていいよ」と言われたとします。しかし、完全に自分の家と同じようにする人はいません。それが、尊重と言うことだと思います。

話は戻って、著作権は大きく分けて2種類存在します。著作者人格権と著作財産権です。財産権の方は簡単に言うと複製権(勝手にコピーするなと言う権利)のことですから、分かりやすいですね。人格権の方は、公表権/氏名表示権/同一性保持権があり、簡単に言うと名誉とプライバシーのことです。2つの著作権のうち、財産権は自由に譲渡出来ますが、人格権は譲渡することが出来ません。つまり、どんなことがあろうと「作った人が誰それという事実は変わらない」と言うことですね。

著作者人格権 公表権 まだ公表されていない著作物を、いつ公表するか決定できる権利(秘密を守る権利)
氏名表示権 名前を表示するか、ペンネームを表示するか、匿名で発表するか決定できる権利。著作物の作者を主張できる権利。
同一性保持権 勝手に改変されない権利
著作財産権 複製権
上映権
公衆送信権
貸与権等
著作物の配布方法を、コントロール出来る権利(利益をあげる権利)

当然、複数の権利が存在すれば、それぞれの重要性に違いが出てきます。「名こそ惜しけれ」と言うまでも無く名誉の方が重要ですから、著作者人格権(名誉権)>著作財産権です。また、秘密を守る権利が無いと名誉もひったくれも無いですから、著作者人格権(秘密権)>著作者人格権(名誉権)となります。ここで、氏名表示権と同一性保持権のどちらに重きを置くべきかが問題になりますが、氏名表示権には秘密を守る権利も含まれていますし、権利を行使するためには誰の権利かが重要になってきますから、氏名表示権>同一性保持権という事になります。

結局、

公表権 > 氏名表示権 > 同一性保持権 > その他の財産権

となり、著作権法に出てくる順番どおりです。法律と言うのは、よく考えられてますね(笑)。

ところで、私は小学生の頃、教科書に出てくる聖徳太子の絵に「メガネ」を書き加えたり、森鴎外の写真を「モヒカン」にして友達に見せてました。大仏の写真に「ヒゲ」を書き加えたこともあります。単なる落書きですが、厳密に言うと「同一性保持権の侵害」と言うことになるかと思います。写真や絵の作者には、著作者人格権がありますから。また、うすた京介の作品に、「久方の 光のどけき春の日に しず心無く ファンシーグッズ」と言う優れた短歌があるのですが、これも「同一性保持権の侵害(ついでに、氏名表示権も侵害)」と言うことになるでしょう。

なぜならば、著作権法第六十条には、

著作物を公衆に提供し、又は提示する者は、その著作物の著作者が存しなくなつた後においても、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない。

と、あるからです。著作者人格権は、作者が死んでも、さらに死後50年経って名誉回復請求権が消滅(第百十六条)しても、無くなるわけではありません。さらに言えば、同一性保持権の侵害は、三百万円以下の罰金に処せられることもある列記とした犯罪行為です(第百二十条)。すまし顔を見ればヒゲを書き加えたくなるのは、人間の本能とも言うべき自然な感情にも関わらず、著作権法では厳しく制限しています。パロディーやコラージュなど、何をかいわんやと言う感じです(「引用」で解決するのは、かなり難しいでしょうね)。

また、既にあるJPEG画像の圧縮率を変えることも、やむを得ない場合を除き「同一性保持権の侵害」になると考えられます。圧縮率の変更によって、色合いや輪郭線が明らかに変わりますから。これは、フリー素材についても同様です。翻案権については許諾と言うことでクリア出来ますが、同一性保持権は人格権ですから未来永劫残ります。もし、二次著作物として認められた場合は、元素材の作者と二次著作物の作者は、同一の権利を持つことになります。

このように、著作権法は、普通の感覚からすると「かなり厳しい」内容になっているように思います。まあ、ほとんどの場合は「お互い様」で問題にはなりませんが、一旦「著作権」が出されてしまうと、闇雲に従ってしまう人が多いことも事実です。今後、企業やマスコミによる「著作権の囲い込み化運動」により、著作権が主張されることも多くなってくるでしょう。私は、「著作権は尊重しなければならない」と考えてます。しかしそれは、文化の発展や著作者へのリスペクトのためであって、企業や個人による「独占」を許すためのものではありません。

(5.12)調べなおしたところ、モヒカンにしていたのは森鴎外ではなく正岡子規でした。謹んでお詫びと訂正をさせていただきます。参考画像


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